日本にもいた足つぼや反射区の先駆者

リフレクソロジーの基本的な考え方となっている反射区という概念は、1917年にアメリカの医師ウイリアム・フィッツ・ジェラルド氏が人体を帯状に10等分して治療法に生かした「区帯療法」(ゾーンセラピー)がきっかけとなり、同じアメリカの理学療法士ユーニス・イングハム女史が反射区の研究を行ったことで世界中に広がり定着するようになりました。

しかし、日本でも、手や足の重要性に着目し、全身の健康に役立てようとした人たちがいました。

平田内蔵吉(ひらた くらきち)

1901(明治34)、兵庫県赤穂市に薬種商の平田寛治・しずの長男として生まれる。京都大学医学部に入学。

1930年に独自の温熱療法である「平田式心理療法-熱針術」を提唱。後に、人体の経絡・経穴を日本で始めて電流を利用して再探索し、古来の東洋医学の経絡・経穴図と比較検討、その選定と解剖学的な位置づけを行った「平田式体表十二反応帯」を発表しました。

柴田和通(しばた やすゆき)

1927(昭和27)柴田和通氏が、手足末梢療法で難病の糖尿病が快癒したことから、研究を開始し、「手足根本療法」を確立。

柴田観趾法・柴田操法・柴田家庭健康術として提唱。後に「足心道」として、世に知られるようになりました。